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2021年7月29日 #0044 それぞれの価値観に触れる

こんにちは。岐阜市で保険代理店を営んでいる株式会社L’s(エルス)の河合淳司です。皆様、如何お過ごしでしょうか。

昨日、コロナワクチンの第一回目を終えました。まだ気は抜けませんが今のところ特に大きな副作用はなく肩が少し痛い程度です。帰り際、事前受付に並ぶ行列をみて関心の高さを知りました。やはりみんなの共通認識として『コロナには罹患したくない、安心したい』が根底にあるのでしょう。

その場、その場の共通言語を探しに

『共通認識』のワードから 連日、オリンピックの大会が行われ世界中の選手を見かける機会が多いです。

私は小さい頃から相手選手の風貌、国旗を見てどんな背景で育ったのだろう?どんな国だろう?と考えるのが好きです。おそらく実家が関ケ原だったからです。町には『関ヶ原の戦い』の史跡や観光の催し物が多くあり、各戦国武将の陣地跡には家紋、兵力数、統治している国力(石高)などが記載されており子供ながらに想像していました。

それがオリンピックの国旗、選手などとリンクして同じように考えるのがこの時期の娯楽の一つになってます。

人は例外なく自らが育った環境の中で価値観をもち、縁があった人と関わり毎日の生活を営んでいます。大概の場合、周りには自分と似た人達に囲まれて生きているので日常では自分と違った人達には出会えません。

何らかのイベントが起こったり、自らアクションを起こしたり、強制的に環境が変わったりした時に自分と違った価値観と出会えます。学生時代であれば進学、クラス替え、スポーツクラブなど比較的に機会が多いです。大人は大きな変化は少ないので意識して自ら飛び込んでいかないと機会に恵まれません。

 

多様化に順応していくのが良いこと分かっていても二の足を踏むのは何故でしょうか。おそらく、その場、その場で重要視する共通言語・価値観が存在するのである程度はそのコミュニティのルールに沿わないとうまくやっていけないのが理由だと思います。

象徴的な諺があります。

郷に入れば郷に従え:そのコミュニティに入ったならそのコミュニティのルールに従うべき。

日本人特有なのが理由なもしれません。島国で単一民族で現在に至るので海外の人よりも思考が似ていて違う価値観に違和感を覚えやすいので現状維持を好む民族とも言えます。

自分の価値観を押し付けても認められないし、全てを受け入れてもストレスがかかります。だから大半の人は始められない。

 

その場面、その場面での価値観(ルール)に基づいて双方のやり取りを行う。そうしないと交われないからです。

・スポーツであれば言語が違おうが『各種目のルール』に従って競う。

・戦国時代であれば『合戦の作法?(武力行使したらどちらが強いか)』に沿って戦う。

 

人生の中で大なり小なり私達の日常に価値観の違う人達とすれ違っています。価値観の違った人達と関わるには『その場、その場に存在する共通言語(価値観)』を理解して(①ルールを知る)、使いこなす(②ルールに沿ってやりとりする)必要があります。

「なるほど!このコニュニティーでは○○という価値観が重要視されていているんだ」「自分とは違うけど△△という考え方は斬新だなぁ」

これが出来ると価値観の幅が広がり毎日が少しだけ楽しくなるかもしれません。

外国語、などハードルを高く設定せず、普段から気になっている人に こちらから話しかけてみたり、興味があるコミュニティに資料請求や情報を入手したりするのもいいですね。