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2022年2月3日 #0054 恒例行事を見送った日

こんにちは。岐阜市で保険代理店を営んでいる株式会社L’s(エルス)の河合淳司です。皆様、如何お過ごしでしょうか。

 

2月3日は節分で各家庭では豆まきをしたり、恵方巻を食べる方もいらっしゃると思います。私は例年、節分の日は岐阜県大垣市で行われる『宝光院・はだか祭り』に参加して裏方としてお手伝いするのですが今年は年末に腰痛を患い大事を取ってお休みしました。

(体調は随分、良くなりましたが身体を冷やすのは避けたいので泣く泣く断念、、)

宝光院でのお手伝いは心男(その年の主役)のサポートで一緒に豆まきをしたり、ふんどし姿になって心男の身体を清酒で清める役です。たまたま縁あって私も心男を務めたのでお手伝い役に関わらせていただいているのですが、よくよく考えれば、その年の心男に直で触れるので贅沢な役回りだと思います。

『毎年の恒例行事を行わない』のは変な感じで違和感すら感じてます。『恒例行事=ルーティン』が崩れる。なんとなく落ち着かない。こんな気持ちになったのも貴重な体験。せっかくなのでこの『例年にない日』『ルーティンが崩れる日』を諺を用いて自分なりに都合よく意味づけしてみました。

犬も歩けば棒に当たる → 棒に当たった犬はスマートな歩き方を覚え、新たな発見を得る

 

『犬も歩けば棒に当たる』を変形して今回の『ルーティンが崩れた時、どう解釈するか』の内容に変えてみました。

諺は本来、何らかの出来事があって誰かがその文言を言い出して大衆が「それ、いいかも!」「教訓として使おう」が現在まで残った言い回しです。

聞きなれた諺でも出来れば自分の言葉にして用いたい・解釈したい・自分にとってしっくりくる

形に変えて理解することが大事だと考えました。

 

・犬が歩いていたらたまたま普段ならぶつからない棒に当たってしまった。

(私の場合は腰痛 笑)

・棒に当たったので普段の歩くコース変更を余儀なくされた

(例年の恒例行事に参加せずに見送った。落ち着かない、変な感じ)

・コース変更して歩いてみる。例年と違った節分(2月3日)の過ごし方をしてみた
(仕事ついでに通りかかった神社に立ち寄ってみた。その神社ではコロナ禍で豆まき行事が中止され、豆を配布していていただいた。普段なら豆をまく側だったけど、今年は『もらう側』になった。なんか新鮮な気持ちになった)

・棒に当たった経験を踏まえ歩き方を改善し以前よりスマートな歩き方になった。

(加齢によるボディメンテの重要性を知って健康に対して理解が深まった)

 

また、デメリットとして棒に当たった事により極端に棒を警戒するようになることも起こり得ます。今まで気付かなかったリスク(棒の存在)を過度に恐れるあまり行動を著しく制限してしまうものです。確かに棒に当たることを避けて歩かなければ棒には当たりません。けど、それって、、

 

常に不測の事態を考えてばかりいたら楽しくないし『準備ばかりする人生』になってしまします。

極度の不安症であったなら考えられる全てのリスクを意識して万全の準備して生きることになるのでしょうか。

私はそこまで慎重な人に会ったことはありません。おそらく、人は「まぁ、何とかなるだろう」の楽観的な側面を持っていないと息が詰まってしまうから失ってしまった過去(変化前の日常)に引っ張られ過ぎずに『これからの事・前』に向かうための思考として楽観があるような気もします。

 

 

モノの見方は何処に焦点をあてるかで随分を変わってきます。

全てを楽観的にとらえるのは不味いでしょうが(これは無責任過ぎますね)ある程度を楽観視する生き方は幸せに生きる鍵と言えます。

 

 

今日を境に明日から立春となり春に向かっていきます。

日に日に至る所に春の兆しが出てくるので宝探しゲームのようで楽しい季節とも言えますね。

まだまだ寒い日が続きますが皆様、風邪やコロナなどなりませんように気を付けてください。